横綱白鵬が現役引退、年寄『間垣』襲名!相撲協会での配属先や断髪式の予定は?

9月に行われた大相撲秋場所は、横綱として最初の場所を迎えた照ノ富士が史上9人目となる新横綱での優勝を果たしました。

その秋場所から数日後、横綱白鵬が引退し、年寄「間垣(まがき)」を襲名し、今後は間垣親方として後進を育成することになります。

そこで今回は、先日現役を引退した元横綱白鵬の間垣親方の功績などを紹介していきます!

さらに、親方は相撲協会では様々な部署に配属され業務を行うことになりますが、間垣親方はどの部署に配属になったのか。

また、引退相撲や断髪式の予定についても触れていきたいと思います。

最後まで楽しんでいってください!

間垣親方(元横綱・白鵬)のプロフィール

名前:間垣翔

本名:白鵬翔(帰化前は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」)

生年月日:1985年(昭和60年)3月11日

出身地:モンゴル・ウランバートル市

身長:192cm

体重:151kg

血液型:A型

所属部屋:宮城野部屋

最高位:横綱

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角界入り前

父親のジグジドゥ・ムンフバトさんは、モンゴル相撲で5年連続6度の優勝を誇るモンゴル相撲の大横綱で、1968年のメキシコ五輪レスリング男子重量級で銀メダルを獲得し、モンゴル初のメダリストとなりました。

15歳だった2000年10月、間垣親方を含む6人で来日しましたが、間垣親方以外が相撲部屋の入門が決まる中、ただ一人入門先が決まらず同年12月モンゴルに帰国することになりました。

しかし帰国前日の12月24日、宮城野親方が間垣親方を受け入れ、土壇場で宮城野部屋への入門が決まりました。

当時の間垣親方は体重が68kgしかない細身の少年だったことから中々入門先が決まらなかったとのことですが、その少年が後に大横綱になろうとは、この時誰が思ったのでしょう。

宮城野部屋入門の経緯については、旭鷲山さんが自身の師匠である先代の大島親方に相談し、大島親方の友人だった宮城野親方に間垣親方の受け入れを申し入れたようです。

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初土俵、そして関取へ

2001年3月場所で初土俵を踏み、入門当時175cm68kgの細身だった間垣親方は稽古や食事などで体を成長させ、それに合わせて番付も上がっていきました。

そして初土俵から3年後の2004年1月場所で新十両に昇進し、翌3月場所では12勝3敗で十両優勝を果たし、わずか2場所で幕内に昇進しました。

前相撲から上がってきた力士の中で3年で入幕というのは異例の速さでした。

新入幕、破竹の勢いで三役へ

2004年5月場所で新入幕を果たした間垣親方ですが、19歳1ヶ月での新入幕は、史上4番目の速さでした。

そして新入幕の場所では12勝3敗の好成績を挙げ、貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ2番目の若さで初めての三賞(敢闘賞)を獲得しました。

間垣親方は幕内で破竹の勢いで番付を上げ、2005年1月場所では新小結で11勝4敗の技能賞、翌3月場所は関脇に番付を上げ、新入幕から1年足らずで三役へ駆け上がっていきました。

さらに、2005年3月場所では直近2場所で12勝、11勝を挙げていたことから「大関取り」の場所となり、もし大関昇進となれば、貴乃花を上回る史上最年少での大関昇進となっていましたが、残念ながらこの場所は8勝7敗で大関昇進はなりませんでした。

大関昇進、初優勝

ケガの影響で一度は平幕に落ちましたが、2006年1月場所では再び関脇に戻り、この場所で初めて千秋楽まで優勝争いに加わりました。

この場所は13勝2敗で2回目の殊勲賞を獲得する好成績を残しましたが、優勝は大関栃東(現・玉ノ井親方)となり、惜しくも優勝を逃しました。

ちなみに、この場所で優勝した栃東を最後に、2016年1月場所で大関・琴奨菊が優勝するまで10年間、日本出身力士の優勝がありませんでした。

この状況を作ったひとつが、間垣親方の圧倒的な強さだったと言えます。

話を戻しますが、翌3月場所は二度目の大関取りとなり、先場所に続いて13勝2敗を挙げ、優勝決定戦で朝青龍に敗れはしたものの大関昇進の目安とされる「直近3場所33勝」の条件を満たし、場所後に大関昇進を果たしました。

そして翌5月場所では、関脇・雅山と14勝1敗同士で並び、優勝決定戦で勝利し初優勝を果たしました!

21歳4ヶ月での初優勝は史上4番目の若さでした。(貴乃花、北の湖、大鵬に次ぐ)

横綱昇進!

初めての綱取りとなった2006年7月場所は、4場所連続で13勝2敗を挙げ、優勝に準ずる成績を挙げましたが、この場所は朝青龍に独走を許したという理由で横綱昇進は見送られました。

翌9月場所は先場所に続いて綱とり場所となりましたが、場所中の負傷により勝ち越すのが精一杯で、その後2場所は負傷の影響で良い成績を挙げることが出来ませんでした。

しかし2007年3月場所では怪我の具合も万全となり、久しぶりに13勝2敗の好成績を挙げ、優勝決定戦では朝青龍に立ち合い変化で2度目の優勝を果たしました。

そして3度目の綱とり場所となった翌5月場所では序盤から圧倒的な強さを見せ、自身初となる「全勝優勝」を果たし、横綱昇進の条件である「2場所連続優勝」を満たしたため、場所後に第69代横綱に昇進しました。

横綱白鵬の記録一覧

ここでは、現役時代に数々の大記録を打ち立てた間垣親方の記録をまとめてみました。

通算成績:1187勝247敗253休(122場所)

幕内成績:1093勝199敗253休(103場所)

幕内最高優勝回数:45回

年間最多勝回数:10回

年間最多勝連続年数:9年

連続優勝記録:7回連続

最高連勝記録:63連勝(歴代2位。15日制以降では歴代1位)

他多数

横綱らしからぬ行動でも話題に

圧倒的な強さで数々の名力士の記録を塗り替えてきた間垣親方ですが、横綱在位10年を超えた時から横綱としては品格に欠けるような行動が注目されました。

その行動一覧がこちら。

・取り組みでエルボーのような「かち上げ」や土俵下への駄目押しを多発

・際どい勝敗に対し自ら物言いを付ける

・勝負審判を批判する

・優勝インタビューで自発的に万歳三唱や三本締めを観客に煽り実行する

これらの土俵内外での振る舞いは、力士全員の見本になる横綱としては絶対にやってはいけない行為です。(当然横綱以外でもやってはいけない)

そして極めつけは、最後の優勝となった今年7月場所です!

14日目の正代戦では仕切り線から大きく下がって立ち合い、正代に張り手を連発。

さらに千秋楽の照ノ富士戦では、エルボーや張り手を浴びせ、勝負が決まった瞬間、派手にガッツポーズをしながら雄叫びをあげ、横綱審議委員会などから大批判を浴びました。

不祥事による角界の低迷期を一人横綱としての重責を果たした

土俵内外での振る舞いで話題になっていた間垣親方ですが、2010年代前半に起きた「野球賭博問題」や「八百長問題」など、角界の存続に関わる不祥事が相次ぎ相撲人気が落ち込んだ時代を、一人横綱として重責を果たしたことは高く評価されています。

ただこの頃から間垣親方が無双するような強さだったので、日本出身力士を応援する声が大きくなり、間垣親方はヒール的な存在となっていました。

特に、稀勢の里(現・荒磯親方)への人気や完成は多かったのは大相撲ファンの記憶に刻まれているのではないでしょうか。

このように、間垣親方は勝てば勝つほど、横綱としての美学を失っていったのではないかと言われています。

現役引退、年寄「間垣」襲名

先日の秋場所では所属する宮城野部屋の力士がコロナに感染した影響で全休となりましたが、間垣親方は優勝した7月場所中に引退を決断していました。

復活したかのように見えていましたが、実は膝や体はボロボロの状態だったとか。

しかし、「東京オリンピックまで現役を続けたい」という間垣親方の強い想いが7月場所の復活優勝に繋がったのではないでしょうか。

これだけ数々の大記録を打ち立てた大横綱には、現役時代の四股名を年寄名にすることが出来る「一代年寄」が与えられると期待されていましたが、上述の振る舞いの影響で一代年寄は与えられませんでした。

そして白鵬は「間垣」を襲名することが許されましたが、「誓約書に署名」という異例の条件付きでした。

ただ、白鵬の年寄名義に関しては最後までバタバタしてたので、どんな形であれ白鵬に年寄名義が与えられ協会に残ることが出来たので一件落着ではないでしょうか。

間垣親方の相撲協会での配属先は?

引退から間もなく、親方として相撲協会の研修に参加した間垣親方はスーツ姿で登場しファンから拍手を貰っていました。

スーツに慣れるのはまだこれからと述べる間垣親方は、どこの部署に配属されたのでしょうか?

間垣親方が配属されたのは「指導普及部」です!

指導普及部は、相撲伝承のため相撲技術の習得、指導普及相撲道に関する出版物の刊行等を行う部署です。

原則として委員以下の年寄は全員所属することになっています。

ちなみに、間垣親方の現在の親方としての階級は「委員待遇年寄」となっており、実質下から3番目です。

相撲協会の親方の階級は上から

理事長

理事

副理事

役員待遇委員

委員

主任

年寄

となっていますが、横綱経験者は「委員」からスタートすることが慣例となっているので、間垣親方は「委員と主任の中間」にいます。

横綱白鵬の引退相撲と断髪式の予定は?

横綱白鵬こと間垣親方の引退相撲と断髪式の予定ですが、本来なら遅くても1年後には実施されます。

ところが、コロナの影響で引退相撲と断髪式が出来ない親方が現在10人以上もおり、間垣親方より先に引退した鶴竜親方もまだ実施出来ていません。

このように、現在引退相撲・断髪式の渋滞が起きているので、間垣親方の順番が回ってくるのは、1、2年先なのではないでしょうか。

早くコロナが終息してくれるのを願うのみですね。

まとめ

今回は、現役を引退した横綱白鵬の間垣親方について紹介していきました!

間垣親方、20年間の土俵人生お疲れ様でした!

親方としての白鵬の今後の活躍に注目です!

最後までご覧になっていただきありがとうございました!

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